<心に残る能登の体験>
NPO法人「能登ネットワーク」プロデュース
能登には、その風土を体感できる様々な体験メニューがあります。
このサイトではそんな体験メニューを、指導者の方の人柄も併せてご紹介します。
能登があなたの「心のふるさと」になる素敵な体験づくりをお手伝いします。
※「こっと〜り」(能登方言)・・・くつろいだ気分で、腰を落ち着けてじっくりと。
奥能登・珠洲の大浜大豆
●珠洲の大浜大豆
大浜大豆は、昭和40年頃まで盛んに作られた品種。全国的には紫色の花が咲くが、珠洲の大浜大豆は、なぜか白い花が咲いた。この不思議な珍しい品種を復活させると、コクも風味も一級品に育ちました。
豊かな自然に包まれて育つ大豆のようすを見にいらしゃいませんか。現地で味わう料理もまた格別です。
[体験メニュー例]
作品名
料金
所要時間
◇オーナー農園
◇農園見学
調整中
調整中
調整中
調整中
※定員などの詳細は調整中です。
<講師プロフィール>
二三味 義春
(にざみ・よしはる)
石川県珠洲生まれ(今も在住)。
珠洲市横山振興会。
◎横山振興会を作ったのは?
横山振興会は平成9年に作った。まちづくりの活動が各地で始まってきたので、「この地区でも」と組織した。その際に提案したのは、「全戸が入って何か変わったことしないか」ということ。その後、2年間は何をすれば良いか探していた。具体的に活動を始めたのが平成11年。
◎豆腐の想い出
議論だけしていても始まらないので、「昔食べていた、豆腐でも作って食べてみんか」、ということになった。昔、正月には家で豆腐を作っていて、美味しいと感じていた記憶があった。
今なら年寄りも元気で、作り方も分かるので、「豆とそばを作ってみんか」と始まった。
◎大浜大豆を作り始めたきっかけ
奨励品種の「えんれい」という種類の大豆を作っていたが、たまたま不作だったことがあった。低温と長雨で、平成15年は大豆が全然採れなかった。その時に、試食会もできないし、「あいの風」イベントにも出せない。
「ああ弱った」と言って代わりを探したら、地元の1軒の家から、「豆が残っているから、それを使ってくれ」と申し出があった。
◎大浜大豆にゃヘソがある
豆を見たら違っていて、豆にヘソがあった。それが「大浜大豆」だった。昔は「大浜大豆」という種類を作っていたことが分かった。それが2年前
(2006年時点)
のこと、足掛け3年になる。「えんれい」や今の奨励品種にはヘソが無い。
そして、花が真っ白だった。年寄りに聞いたら、木の浦地区に102歳になるおばあさんで、何でも研究している人が居て、その人に「大浜大豆の花は白や」と言われた。他の大豆は花の色が紅紫色だが、「大浜大豆」は真っ白な花がつく。その豆を持っていた家のおばあさんも、「大浜大豆の花は白い」と仰っていた。
◎なぜだか白い花が咲く
学術的なことを調べたら、「大浜大豆」の花は紫と書いてあった。それなのに、なぜここの「大浜大豆」の花は白いのか。とにかく、「花の白いのは珍しいから、これを作らんか」ということで「大浜大豆」を作ることにした。
この横山在所の女性で農協に勤めていた人が、大浜大豆を残すために作っていたようで、その人も「大浜大豆の花は白かった」と言っていた。「大浜大豆のさらに前の品種ではないか」と言っている。「DNA鑑定でもすればどうか」という話もしているが、よく分からない。
豆腐にして食べてみたら美味しかったので、「来年から全て大浜大豆にせんか」となり、2kgほど残してみんなで作った。
◎大浜大豆の名の由来
昭和40年代の初め頃までは、能登の外浦地域で一番作っていた品種が「大浜大豆」だった。タバコの栽培が増えてきて廃れていった。当時は奥能登からは皆、出稼ぎに出ていたので、晩生だと収穫が大変で、早生の奨励品種が出てきたら晩生の「大浜大豆」は少なくなっていった。
昔、折戸地区の浜は大きな浜で、「大浜」と普通言っていて、そこを中心に広く大豆が栽培されていたので、その辺りで作られている大豆のことを、みんな「大浜大豆」と言っていたとのことであった。
子どもの時分は、折戸の浜は野球ができるほど広かった。今の港のあるところが広々とした砂浜で、子どもたちがいつも遊んでいた。
◎大浜大豆にも4種類ほどある
地元で作っている大豆のことを全部「大浜大豆」と言っているが、正確に比べると違っていて、4種ほどある。豆腐にしたら美味しいものとか、納豆にするのに良いものとかありそうなので、栽培してその研究をしていくつもりである。
昨年20000本ほど植えたら、紫色の花のものが20数本混ざっていたので、抜いてしまった。
◎コクもあって美味しい
昨年も試食会をした。「あやこがね」と一緒に作ってみたが、「大浜大豆」で作った豆腐のほうが、コクもあって美味しかった。
昨年、沢山採れたので、坂本旅館の主人から京都の人を紹介してもらい、送ったら、「甘みは薄いが、コクも風味も強くて、豆腐をつくるには最高の豆だ」と言われた。京都まで話を聞きに行ってきたが、「3工程は4工程は最新の機械を使ったほうが、質が一定に保てる。後は手で作るとしても」ということであった。
◎収穫の時期を変えると味も違う
収穫時期をずらして収穫した大豆を京都の人に送ったら、「味が違う」と言われた。一斉に収穫するのでなく、完熟したものを時期をずらして、手作業で収穫していくことがよい。収穫体験をしていただく企画も可能ですね。
◎余った豆で味噌を作る
昨年は余った大豆を使って3種類の味噌を作った。「あえの風」イベントでも販売すればいいと思って、坂本旅館の主人に食べてもらったが、「素晴らしい味噌や!料亭で使うような味噌だ。」と言われた。
坂本さんが「これからは豆の時代だ」と仰っているので、いろんな活用を考えていきたい。珠洲でないと食べられないものを作っていくべきですね。
◎生産の拡大と安定化
勤め人もいるので、仲間で作ることには限度がある。作りたい人で生産部会を作って、集落でのイベントで使うものを、作っている人から買う方式で進めないと広がらない。
販路としては、まず能登半島で使っていただくことが最初に必要なこと。
◎小学校でも食育に活用
三崎地区の小学校でも、この横山地区から豆を持っていって栽培している。昨年は「100kgほど採れた」と言っていた。豆腐、納豆、きなこ、もやしも、子どもたちが作っている。班を作って活動している。試食会にも招待された。
◎本業は葉たばこの栽培
珠洲で葉たばこの栽培が始まったのが昭和30年。この地区で始まったのは、昭和36年ぐらいかネ?道路事情が悪くて指導者が来れんで、スタートが遅れた。最近は減反が進んで生産量は減ってきている。
◎減反の田んぼにそばを蒔く
最初は、減反の田んぼにそばを蒔いてみたが、全然駄目だった。「1年に1回だけ試食会をせんか」と、みんなで集まった。粉は石臼で挽くことも考えたが、大変なので門前に行って挽いてもらった。そば打ちもやってみたが、バラバラでうまくまとまらなかった。それで、福井に2回、柳田にも教えてもらいに行ってきた。それでもうまくいかなかったな。豆はある程度できていたので、寄せ豆腐を作って食べた。
◎イベントにて販売
そばは短くて、切り方・熏ラくならなかった。地元の「あいの風」などのイベントでも販売してきたが、出来は今一つ。うまくつながっていなかった。大切なのは、粉にすること。坂本旅館で粉にしてもらった。坂本の親父さんに、「この粉なら、うまくそばに出来るはずだ」と言われた。工程が沢山あって、時間をかけて粉にしてもらった。
◎そば作りは若手が、豆腐づくりは年配の人がする
そば打ちは、集落の中でも若手の40〜50代の人が行い、豆腐づくりは年配の人がしている。好きな人は、「今年はそばを作ったから、来年は豆腐をやる」と言っている。
横山は32世帯と少ない。少ないから出来るのかもしれない。多いと全部が集まれずに、好きなもの同士になってしまう。
<体験のご予約・お問合せ>
●
(有)地域けいかく
石川県輪島市河井町4部52番地 〒928-0001
TEL: 0768-23-8181
担当/瀬戸 千晶
(せと・ちあき)
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